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おおやけ

「おおやけ」 とある方と、「公共」における「おおやけ(公)」の考え方を巡り、深夜に及ぶ議論を繰り広げた。 まず「公」には、以下のような相反する意味が同時に内包されている。 「公」は世間一般という観点で、「公共」というと「どなたでも使える」ような意味を持つ。 一方、「公」には「大きな家=おおやけ」という意味で、大きな力を持つ権力、古くは朝廷や公家、現代では政府や行政をさすこともある。 まったく方向の違う考え方が、同じ言葉に共存する。 謎である。 さて、「公」の考え方に、「公私」の別がある。 「公=表向き(パブリック)」 「私=表ではない向き:プライベート」 そこには、「公」を一つ一つの「私」の集合体(わたしたち)とする見方が含まれている。 この時、留意しなくてはならないのが、「公」にとらわれすぎると、必ず「私」が反乱するということ。 例えば公園などの公共の場について、その使用者は「個人(私)」や「個人の集団」である。 すると、最初は良くても、時を経るごとに必ず個々の私的な都合が生まれ、やがてルール違反や対立などのいさかいが増える。 そしてルールを逸脱すると、「村八分」のような差別や孤立が生まれる。 どなたでも同じ=平等、公平を生み出すのに、 「公」を前面に出せば出すほど、不平等や不公平の芽も同時に自ら生み出している。 深夜に及んだ議論を経ても、この矛盾を乗り越えることが出来ない。 もしかすると、「公」に相反する意味があるのは、用量を守れば良薬だが、使いすぎると毒に変化するのと同じで、「公過ぎずに、公を求める」いい塩梅を探せということなのか。 すぐに見つかる答えは、ないのだと思う。 でも、考え続けるべき深い問題なのかな、という哲学モードに入る、秋の夜長直前の夜
最近の投稿

Red white & royal blue

Red white & royal blue, a New York Times Best Seller book.  Amazon produced a motion picture based on the book and relased it in its Prime Video this August. Upon so many five stars given by watchers and/or the book readers, I happened to watch this though I'd not known what this movie was all about. It simply features "what if the son of the American President and the prince in Britain love each other?"   Well, time has changed; this kind of fantacy often feasures a beauty and a prince charming in a conventional manner such as "Cinderella" (or "Ever After" starred by Drew Barrymore), "the Snow White" or "Beauty and the Beast": All of them are about a romance on heterosexual: a man and a woman.  But this movie is what is called "Bromance", kind of a Boy's love story between a prince charming and a boy charming. Besides its sexual orientation, it was a fun to watch to me as a romantic comedy. I'm also surprised

Democracy still immatured in Japan

Legendarily, Japan is almost 2700 years old, originating in the date of the first emperor Jimmu’s enthronement. Almost all of the years were feudalistic; the Emperor was its monarch. In the medieval time, the Samurai took over powers to govern the nation but the society was still feudalistic. People were quite subject to someone with overwhelming power. Democracy was introduced to Japan by importing the Parliamentary politics developed in Westminster only about 200 years ago when the Tokugawa Shogunate demised. Namely, out of the 2700-year history, democracy is only 200 years old: 7 percent only in this nation. Metaphorically, Japan’s democracy is just a 7-year-old child, simply immatured. We Japanese people are still subject to someone with strong/outstanding power and allowed a dominant power to be tyrant in politics. With this regaed, Japan’s politics is still feudalistic but in the form of democracy; just a replacement from the Imperial court or Shogunate in the history. This i

統一地方選挙を応援してみて

今回の統一地方選挙の平均投票率が、全国的に 50% を切ったと報道されました。 私の住む地域では、前半の府知事/府議選、後半の市長 / 市議選ともに 50% を超えていたので、 平均以上であったということでしょうか。   私は今回、府議、市長選それぞれに立候補した2人の友人の支援に回り、 選挙運動を裏方として直接見てきました。 その中で気づいたのは、この国の民主主義はまだ発展途上だということ。   民主主義の根幹は「選挙制度」ではなく、 一人一人が自分のことのように物事を判断することにあります。 その延長線上に選挙による投票行為があると思っています。 しかし、普段の買い物だったらいざ知らず、 殊に政治の話題となると、そうした個々の判断がなかなか難しくなるようで、 ・「人気がありそう」とか「イケメン」、「学歴」「年暦」「性別」といった要素 ・特定の政党や候補者への好き嫌い、といった感情 ・会社や団体との付き合いなどなれ合い   といった外的要因にて投票する傾向が、今も大勢を占めることも実感しました。   そもそも、有権者の半分が投票に行かないという時点で、民主主義は成り立っていません。   それを「意識が低い」とか「なぜ投票に行かないのか」という怒りや悲しみに替えて、 活動のエネルギーにする方も仲間内にはいましたが、私はそういう面では割と冷静だったと思います。   **** 右翼的な発言かもですが、 神話上のつながりも含め、初代・神武天皇の即位を起点とし、 日本建国から 2700 年弱経過したとされています。 その全期間にわたり、天皇、あるいは上皇や法皇という 超越的な権威が存在していました。 戦後、天皇は政治に対する権威を失い、「国民統合の象徴」として 存在していますが、そんな象徴制度が始まって、まだ 100 年も過ぎていません。 また、鎌倉時代以降は、天皇の勅命を受け、やっぱり超越する権威を得た 征夷大将軍が政治をつかさどってきました。 封建的、つまり権威のある君主が国土を統治し、人々はその権威に従う構造が長い間続いていたわけです。 そして、近代になって「民主主義」という概念が入ってきましたが、 自分たちで作り上げたというよりは、立憲君主制民主主義の先輩・英国から システム

municipal election campaign

A friend of mine ran for the municipal election for the mayor in my town and I joined his campaign as its support for these several weeks. The election was made just yesterday; the result is that my friend and the other candidate failed and the incumbent mayor was re-elected with an overwhelming number of votes for him. My friend’s agenda is quite straightforward, saying that the gentrification backed up by massive urban developments should be abandoned since it could result in massive destruction on its ecosystem triggering a climate change and an eco-friendly system can be adapted alternatively, typified by a municipal zero-waste center prompting residents to re-use, re-cycle the garbage. One of the things I was interested in is his attempt to reduce food waste by 30 percent with having people done a compost and farmers use it for firming; residents can have a free/almost-free access to flesh crops and they will be free of price hike in the future. He also argues that “care” for peop

遥拝(丹生川上~御神島)

先般訪れた、福井県の「御神島」。 (先般の記事は、 こちら をご参照) 別件で近くの天川村に行く用事があったので、その途中で御神島への橋渡しをしてくれた丹生川上神社(下社)さんに、お礼のご挨拶に伺いました。 御神島に入島できなかったけど、島の全景を拝することができるスポットにたどり着けたことなどを報告し、当日神社の本殿に向かって祝詞を唱えて頂いたことについて、宮司さんと社務所の職員さんにお礼を申し上げました。 すると、宮司さんから「入島できないほうが、よかったのだと思います。」との言葉がありました。 宮司さんから聞かせて頂いたお話 神道には、「遥拝」という儀礼がある。遠くの目の前に見えない神様のことを心に浮かべ、その存在の思いの中に意識を向けながら、祈りを伝えることを意味する。 「祈り」は双方向ではなく、常に一方通行。その存在にただ有難さを感じるだけで、何かの利益を求めることではない。 祈りの結果、神様からもたらされる恩恵は、自分がどれだけ深く強く神様に対して有難い気持ちを祈ったかによる。 古来、人々はこの遥拝の力をよく知っていた。だから神域には恐れ多いとしてむやみに近寄らず、そこにおられる神様へ思いをはせ、遠くから一心に拝むことで祈りをささげていた。「遥拝」が、本来神様と人間をつなぐ方法だった。 下社では、丹生山頂の本殿に普段はだれも近づけない。そしてその本殿は、遠く真北の御神島に通じている。下社の祭祀は、実はこの「遥拝」の力を大切にしたもの。人はふもとの拝殿から、遠い山頂の本殿に向かって祈り、その祈りはさらに遠くの御神島に届けられる。その遠さ(深さ)の分だけ、御神島から頂く恩恵は計り知れない。 「御神島」は正確には「おんがみじま」だが、下社では祭神の名前「闇龗(くらおかみ)」にちなんで、「おかみじま」と呼んでいる。島自体が、龗(雨をコントロールする龍神)のご神体だと理解している。 このような有難い話の後で、宮司さんから、入島できていたら、感動したかもしれないけれど、単なるパワースポット巡りに終わっていたかもしれないですね、と改めて言葉を頂きました。 その上で、遠くから島の姿を拝むことで、遠くて見えない神様への思いはより一層強くなったのではないでしょうか。だから、遥拝のほうがきっと神様が喜びますよ、と思いもしなかった視点での考え方を頂いて、

御神島(福井県若狭町)

御神島(おんがみじま)は、福井県若狭町の常神半島の先端から西方 500m の沖合に位置する島です。 通常は無人島ですが、常神半島の集落にある民宿などの漁業関係者に頼めば、気象条件等が適している場合に船を出してくれることがあります。 夏場には魚釣りや海水浴などのレジャーを求めて、定期的に観光客が入島するようです。 常に神がいるところ この島が「御神島」と呼ばれる所以は、 629 年に欽明天皇が発した勅令により、島内に「常神大明神」を祭る神社を建てたことに遡ります。 古くから、気比神宮のある敦賀と常神半島は海運でつながる「セット」として見られていたようで、現在は島内から半島側の集落に移されている「常神社」の経緯を辿ると、 その歴史が古いことがよくわかります。 常神社は、「式内社」(平安時代の神社リスト:延喜式神名帳に掲載されている神社)であることから、少なくとも創建から 1,400 年は経過。 創始年代は不明だが、 986 年に常神半島から御神島に遷座し、その後 1108 年にふたたび半島に戻り、現在に至る 祭神は、気比神宮と同じ「神功皇后」 かつては、常宮神社(敦賀市・気比神宮の奥宮)の神官が船で常神社に渡り、祭祀を執り行っていた。 丹生川上神社(下社)とのつながり 奈良県吉野郡下市にある丹生川上神社下社は、水の神様である「闇龗神(くらおかみのかみ)」を祭る神社です。 神話上、初代・神武天皇が最初に祭祀を始めた「丹生川上」の地とされ、古くから「祈雨・止雨」の神様として、歴代の天皇が勅使を送り、直々に奉幣する「二十二社」のひとつでした。 (丹生川上神社下社については、以前の記事もご参照ください) 境内には、背面にある丹生山の頂に本殿があり、地上の拝殿とは山腹に配置されている 75 段の階段でつながっています。 昔は昇段を一切許されず、ふもとから山頂にいる神様を仰ぎ見ていたようです。現在でも通常は昇段できませんが、毎年 6 月の例祭に限り、一般の人でも階段を昇ることが可能です。 この階段、明治以来長年に亘って使用され老朽化が激しかったこともあり、数年前に大改修しました。 その改修工事の最中、古い階段を撤去したときに、地下に埋められていた古文書が発見されたとのこと。 そこには、本殿からみて真北の方向に歴代の都(橿原宮(橿原神宮)→藤原